遺産相続フィナーレ(通夜葬儀)

こんにちは、こんばんは、良い人は天国に行き悪い人は地獄にいき普通の人は中国に行きます(by田上よしえ @爆笑オンエアバトル、やべ私は死んだら地獄か中国に行くのか...) キャリーです。

 

遺産相続について一旦最後のブログにします!明け透けに色々と書いてきましたが、遂にフィナーレです。備忘録的な意味合いも込め、故人の遺産と向き合い親戚や役場、銀行に法務局とのやり取りをまとめてきたので、最後は詳しく触れなかった通夜や葬儀やらについて書きたいと思います。

遺産相続①で書いた通り人が亡くなったら時間との勝負です。病院は亡くなった人を長く置いてはくれないので急いで葬儀社に連絡します。この時点で全く葬儀社と接点が無かったら絶対に大変ですし、家族や親戚への連絡やらATMに走ったり、通夜葬儀の予算や段取り決めやらで超てんてこ舞い。泣いて感傷に浸るのはまだ先ですよ!

九州から朝イチで駆け付けた母達と親族の一部と合流し、大叔母に線香を上げ悲しみを共有したら葬儀社と打ち合わせ。もう夕方です。夜中2時からフルスロットルの私殆ど寝てませんので(出た!寝てない自慢笑)、ただでさえ頓珍漢な発言が多いのに、もう息をするように失言や変な発言をしていたと思います。まあ、いつもの事か。

さて、翌日に通夜、明後日に葬儀、その翌日に火葬(火葬場って意外と混んでいたり友引で休みだったりなどで調整に手こずりました)に決まりました。通常、葬儀後には参列者に見送られて霊柩車に乗り火葬の流れですが、今回は家族葬にした事や葬儀を友引にした事(友引は友を引き込むと言われお祝い事の結婚式なら吉日ですが葬儀では避けるべき日なんです。しかし親族の都合や葬儀社&火葬場の都合上この日に。この日にしなかったら2日先に火葬が延びそこまでずっとドライアイスで大叔母を寝かせておく事になるので、それってどうなの?となったりもしました)で、火葬は葬儀後に一旦解散して翌日に改めて集まれる人で、というイレギュラーな流れになったのです。

少し話が逸れますが、私の知り合いに看護師が何人か居て、その方々との雑談の中で、病室で最期の瞬間にまだ遠方の家族や親族が来てないので心肺蘇生を続けて下さい!まだ死亡の診断をしないでください!みたいなのが中々にあるようです。つまり一番苦しんでいる本人をそのままに、最期の瞬間はみんなで!みたいな生きている側の都合で(言い方は悪いけど)ズルズルと先延ばしがあり、何だかなあとの事でした。確かに助かる見込が全く無くともどうにかしてあげたい気持ちも、最期はみんなで看取りたいのも凄く分かるのですが、早く楽にしてあげる(これも言い方が悪いけど)のも考慮すべき点だと感じました。加えて、普段お見舞いにも全く来てないし世話もしてない人ほど、最期だけは一目だけでも!と言う事があり、より複雑な気持ちを増幅させるようです。

これ凄く分かります。ありました私も。本当に病室に全く会いに来なかった&最期まで何もしなかったくせに(高齢者でも病人でも無かったのに)、最後の最後にしゃしゃり出て来て大女優並の号泣する姿。仕事が忙しかっただの色々あっただの、それは重々に分かりますがみんなそうです。その中で時間を割いて最期まで尽くして来たのだから。

という事で長く大叔母をこのままにする事より(これが言いたかったのですよ)、少しでも人が集まれる土日(金曜日の早朝に亡くなったので)に通夜葬儀をして、月曜に火葬で話がまとまりました。更にこれも前に触れたのですが葬儀をYouTubeで配信が出来るので、当日に来れない人達にはURLを送り一緒に送り出しましょうという段取りにしました。後で分かったのですが意外と再生されていました。

さて、予算ですよ予算!既に控室を借りてますが家族葬にしても葬儀場のホールを借りるので、みんなでその場で食事をして(因みに大叔母はみんなで楽しく食事をするのが大好きでお酒も好きでした)、花で周りを飾って、香典返しには何を入れて...などを話し合い、それを基に様々なプランと金額を葬儀社側が提示してくれます。最安値のプランで100万円を超えていたので、マジか高い!という本音がありました。最期だからケチるなよという言い分も、派手に見送ろうぜ!も分かります、だけど近所の方や友人(みんな超高齢者)は後から仮祭壇を自宅に作り呼ぶ事にしたし、最大で10数人の参列者数で執り行う家族葬なので、お金をかけるより心を込め送り出す事を選びました。司会は不要、棺などは質素になど一つ一つ項目や内容を査定しました。故人に配慮しつつ執り行う私達が気が済むように組み立てるのも大切です。やるのは私達ですから。あと葬儀社によって価格は色々、人生色々です。ある知り合いは家族葬を60万円くらいでやったとか(一体どこの葬儀社よ!)、人を沢山呼んだら200万円はザラとよく聞きます。ネットで検索したら平均119万円やら127万円やら出てきます。

https://www.resonabank.co.jp/kojin/column/shoukei/column_0003.html

https://www.osohshiki.jp/column/article/084/

北へ行くほど高くなる傾向にあるみたいです。ここに更に食事代や返礼代、お寺への支払が追加されます。お経や戒名代、永代供養代、納骨代やお墓代、法要代などなど。で総額は200万円は超えますとの事。まあそんなもんですよ、それくらいかかりましたよ。

さて、予算内容を固めたら実行あるのみです。写真や思い出の品をダッシュで大叔母宅に取りに行き揃え、更には遺影の写真を厳選(飛び切りに素敵な笑顔の写真を選びました、自信あり)、集まれる親族の目処を立て、母は親族代表挨拶をするので台本を作り、香典返しの文面も作成します。地元新聞社にお悔やみ欄の依頼を出し(マジで口座凍結5秒前...)葬儀社やお寺と段取りを詰めて自分達の身支度もするなど1日足らずで準備しました。この辺は葬儀社がやる事リストを下さるので、有難く参考にしながら進めます。金曜の夕方に諸々を決め翌日の夕方には通夜なので誰がやってもバッタバタですよ。ただ葬儀の担当者がもう仏様の様な方で、作業が非常に丁寧な上に全てにおいて配慮が行き届き、この方に私の葬儀も頼みたい!と思えるほどでした。強烈に感心したのは、百均で写真立てを10個ほど用意されていて『思い出の写真を拡大しますのでこれに入れて飾り付けて、葬儀後は自宅での仮祭壇の飾り付けにそのままお使い下さい。私からのプレゼントです』と言われた事!もうなんて出来る方でしょう、忙しいのにいつ用意したの?超有難い!という感じで、実際に仮祭壇を家に作った際にはこの写真立てが大活躍しました。こういう素敵な人の存在が悲しく寂しく不安な葬儀において切に大事だと思いました。

さて、瞬く間に通夜を迎えました。納棺師(映画でもっくんが演じた おくりびと)が早めに来て綺麗に化粧と衣装替えをしてくださり、親族も一緒に故人の身体を拭きました。この後は棺に入るので、ある意味で最後の触れ合いかもしれません。そう考えると泣けてきます。故人にも残された側にも気を配り段取り良く進む様子に立派なお仕事だなあと強く思いました。東日本大地震でもこの方々が活躍されたとNHKの特集で観ていたので尚更に。大叔母はとても喜んだと思います、なんてったって洋裁の仕事で生計を立てプライドを持って仕事に取り組んで来た人で、オシャレが大好きでしたからね。通夜は広い会場の一角にちょこんと親族が座った状態で厳かに進んで行きました。スライドショーの写真を見ながら、もうすぐ本当にお別れなんだなあと感傷に浸りました。お坊さんのお経やら法話も終わり、そのままみんなで食事をしてたら通夜はあっという間に終わりました。翌日は昼過ぎから葬儀です。

葬儀では通夜から親族が増え、内容自体は通夜と殆ど変わりませんが厳かに進みました。スライドショーを見ながら、あ!昨日見たやつだと思ったり、母の親族代表の挨拶は大丈夫か?と思ったり。火葬が翌日だからか悲しみが込み上げるのはその時の方だったので、葬儀の時の私はかなり落ち着きスンとしていました。非常に疲れていたので葬儀が終わり外で食事会を終えた後の記憶は全くありません。ただこの食事会で帰る親族も多いので、思い出話に加えて遺産の話やらをするのです。ここがスタートラインですよ!私が殆ど知らなかった親族の中から、あの人とあの人は長い付き合いになるなあとか現実的に親族達を把握します。(嫌な姪孫) この直後に母が葬儀者が用意した遺産相続の無料相談に行き爆走が始まりましたので大事ですよ。あと幸い親族達は私が独身な事とか、あんな事やこんな事を根掘り葉掘り聞いたりも無く(ただ興味がないだけなのかも笑)、まあこれはこれで助かりました。盆や年末年始、冠婚葬祭で身内が集まる=結婚や子どもの話、金の話で居心地は悪くなると相場は決まっていますから。私が子どもの頃は従兄弟が集まりキャッキャしたり親戚から小遣い貰ったりで嬉しいものでしたが、現実を知らないという事はなんと幸せな事だったのかと大人になり身に染みます。加えて参列者が高齢者ばっかりなので、病気や健康の話が中心になりました。みなさん後先がもう長くはないもの...。あと通夜の後の食事会、更に葬儀後の食事会と殆ど同じメンツでの食事会が続き、正直これはこれで疲れました。

そして翌日の午前中に火葬をしました。母と私と親族2人が来てくれました。火葬には何度か参加した事があるので流れは知ってます。最期の別れをして火葬する焼却炉のボタンは代表が押して、完全に燃え尽き骨になるまでの時間は食事をして待ち、最後にみんなで箸を使い遺骨を拾い骨壺に納めます。これが何とも言えない気持ちになります。実際に病室で御臨終の宣告をされた次に悲しく辛い気持ちになりました。もう形は失われて骨だけになるのですから完全に触る事は出来ませんし姿を見ることも出来ません。大叔母の本当の最期を見届け、おばちゃんが喜んでくれたらいいなあとか、先に亡くなった姉である私の祖母もしっかりと送り出した事を喜んでいたらいいなあと思いました。火葬まで都合を付けたこの4人が、これまで書いて来た遺産相続の中心となったメンバー(土地を引き継いでくれたAさん&母の兄弟)で、この先の全ての法要に関わったメンバーでもあります。私の中では心強い同志ですよ。ひとりじゃないって素敵なことね(天地真理)

という事で、その後は仮祭壇を作り近所の方や大叔母の友人を家に招き思い出話をしました。号泣してくれる方や私や母も知らなかった話をして下さる方も居ました。有難いですね。お茶を出したり香典返しを渡したりで大叔母が亡くなった日から1週間は生活の全てを葬儀関連に捧げました。そして法要に法要を重ね、同時に遺産相続の手続きを進め現在へと至るのです。振り返ると地域によって通夜葬儀の仕方に若干の違いがあるのも知りましたし、それは宗教や家毎でまた違うのでしょうね。通夜葬儀は見送りたい残された人からの感謝とエゴと思い遣りが入り混じる事だと強く感じたので、私も大叔母と同じ様に、更に言うと迷惑や面倒や忖度をさせたくないので、最低限の金額で実施可能な小さいお葬式(30万円くらいで出来るらしい)に家族と親友だけ呼んでくれたら充分だと改めて思いました。加えて海か山に散骨でもしてくれたら後が楽でいいなと。最近流行りの樹木葬も大歓迎。墓や納骨堂の場所を取るのも管理も大変だしね。


以上を以って遺産相続はフィナーレです。書きたい事をひたすら書いたので私は満足です!この経験を生かして両親兄弟を見送りたいものです。遺産相続も任せなさいよ!という感じ。では、次回からはまた内容をガラリと変えて書きます。それではまたね!教えたのよ!!